「舞踏教師の家 (Tanzmeisterhaus)」とも呼ばれたモーツァルトの住居は、1617 年に初めて文書に登場しています。この住居は 1685 年まで 2 つの建物で構成されていました。勅令により、この邸宅内で貴族を対象とした舞踏レッスンを行うことが 1711 年に許可されました。1773 年、モーツァルト家は当時のハンニバルプラッツ (現在のマカルトプラッツ) に新たな居を構えます 住居は広々としており、友人や音楽家が集まるのに十分大きなものでした。役者兼舞台演出家であり、また『魔笛』の台本作家でもあったエマニュエル・シカネーダー (1751 年~1812 年) も頻繁に訪れました。この家にヴォルフガング・アマデウスは 1780 年まで住みました。そして、この邸宅で交響曲、ディヴェルティメント (嬉遊曲)、セレナーデ、ピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、ファゴット協奏曲、アリア、ミサ曲、その他の宗教音楽作品を書いています。この地でモーツァルトは『羊飼いの王様』(KV 208) を作曲し、『偽りの女庭師』(KV 196) と『イドメネオ』(KV 366) の創作を始めました。 モーツァルトの姉ナンネルは、結婚するまで (1784 年) この邸宅に住み、モーツァルトの父レオポルトは死去するまで (1787 年) まで住みました1944 年 10 月 16 日の航空機爆弾によって、この邸宅の 3 分の 2 が破壊されました。当時の所有者は爆撃を受けた部分をゼネラリ保険会社に売却しました。ゼネラリ保険会社はこの場所にオフィスビルを建築し、1989 年に国際モーツァルト財団がこのオフィスビルを買い取りました。すでに 1955 年に、国際モーツァルト財団はTanzmeistersaal の保存部分をモーツァルト博物館用に購入しています。オフィスビルは 1994 年 5 月 2 日に取り壊され、古い設計図に基づいて同年 5 月 4 日に復元が始まりました。